この記事では伏見稲荷大社の外拝殿についてくわしくご紹介します。
伏見稲荷大社には2つの拝殿(内拝殿・外拝殿)があり、江戸時代末期(天保11年)に建立されたのが外拝殿です。
外拝殿とは? 歴史・言い伝え
伏見稲荷大社の外拝殿は江戸時代末期に稲荷祭の五基の神輿を並べるために建て直されました。国の重要文化財に指定されている社殿です。
現在の伏見稲荷大社には2つの拝殿があります。
ひとつは本殿の前にピタッと建てられている内拝殿で、1961年(昭和36年)に建造されました。
もうひとつが外拝殿です。
外拝殿は本殿・内拝殿と楼門の間にあります。
内拝殿ができるまでは外拝殿は単に「拝殿」と呼ばれており、1780年(安永9年・江戸時代後期)に刊行された『都名所図会』にも現在と同じ位置に確認することができます。
現在の外拝殿は江戸時代末期・天保11年に建立されました。擬宝珠には「天保十一庚子年」の文字が刻まれています。
外拝殿の場所・行き方は? 伏見稲荷大社の本殿まではどれぐらい?
伏見稲荷大社には2つの拝殿があり、楼門をくぐり目の前にあるのが外拝殿です。外拝殿の横をぐるっとまわりながら進むと本殿・内拝殿に到着します。
大きな鳥居(一番鳥居・二番鳥居)が建つ表参道をまっすぐ歩くと伏見稲荷大社の顔とも言うべき、楼門があります。
階段を上り、楼門をくぐって目の前にある建物が外拝殿です。
参道は外拝殿の横をぐるっとまわるように続いており、その先に内拝殿・本殿があります。(左奥に見える薄い緑色の屋根の建物が内拝殿です。)
外拝殿の見どころ
入母屋造の外拝殿は江戸時代末期に建立され、国の重要文化財に指定されています。軒下に吊るされた12個の鉄灯篭は「黄道十二宮」を表しています。
黄道十二宮の鉄灯篭
伏見稲荷大社の外拝殿の軒下には12個の鉄灯篭が吊るされており、「黄道十二宮」がデザインされています。
「黄道十二宮」は12星座に置き換えた方がなじみがありますよね。
それぞれの対比はこのようになります。
黄道十二宮と12星座
- 白羊宮(はくようきゅう): おひつじ座
- 金牛宮(きんぎゅうきゅう): おうし座
- 双児宮(そうじきゅう): ふたご座
- 巨蟹宮(きょかいきゅう): かに座
- 獅子宮(ししきゅう): しし座
- 処女宮(しょじょきゅう): おとめ座
- 天秤宮(てんびんきゅう): てんびん座
- 天蠍宮(てんかつきゅう): さそり座
- 人馬宮(じんばきゅう): いて座
- 磨羯宮(まかつきゅう): やぎ座
- 宝瓶宮(ほうへいきゅう): みずがめ座
- 双魚宮(そうぎょきゅう): うお座
「ぜひ自分の星座を見つけてください! 」と言いたいところですが、デザインによってはわかりにくいものがあります。
特にやぎ座(磨羯宮」は難しいですね。(「磨羯」とはインド神話の「マカラ」という怪物のことで、上半身がヤギ、下半身が魚の姿をしているそうです。)
ふたご座とおとめ座の違いもわかりにくいので、ぜひ見比べてみてください。
どの星座の鉄灯篭が外拝殿のどこに吊るされているのかをまとめました。
楼門をくぐって目の前が外拝殿の西側になります。それぞれ左から順番に記載しています。
鉄灯篭の場所
- 西: かに座・おひつじ座・ふたご座・しし座
- 南: いて座・おうし座
- 東: さそり座・やぎ座・おとめ座・うお座
- 北: みずがめ座・てんびん座
外拝殿と年中行事
外拝殿は年中行事(祭礼・神事)の際にさまざまな用途で使われます。
初午大祭
初午大祭の時には奉献されたたくさんの品が外拝殿に並べられます。
節分祭の豆まき
節分祭では外拝殿で豆まきが行われ、たくさんの参拝客が福豆をもらおうと集まります。
稲荷祭
稲荷祭では外拝殿にお神輿が並べられます。
本宮祭
本宮祭では伏見稲荷大社の境内のいたるところに提灯が掲げられます。
もちろん外拝殿の軒下にもたくさんの提灯が吊るされ、奉納された行灯画も飾られます。
夜の外拝殿
伏見稲荷大社・稲荷山は24時間参拝することができます。昼間とはまったく異なる独特の雰囲気があり、あえて夜の伏見稲荷大社を訪れる人も多いです。本殿の手前にある外拝殿は夜間でも訪れやすい場所と言えます。
夜の外拝殿は明かりがほとんどなく、奥に見える内拝殿の方が明るく見えます。
黄道十二宮の鉄灯篭は明かりが灯された夜の方が雰囲気がありますね。
外拝殿の概要
外拝殿の概要です。
住所 |
〒612-0805 京都府京都市伏見区深草開土口町 |
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ご祭神 |
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例祭日 |
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格式 |
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創建・建立 |
1840年(天保10年・江戸時代末期) |
ご利益 |
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拝観時間 |
24時間参拝可能 |
拝観料 |
無料 |
外拝殿の駒札・立て札・由緒書き
外拝殿(重要文化財)
- 構造 入母屋造 檜皮葺
- 建立 天保十一年(一八四〇)
この建物は、天正十七年(一五八九)の社頭図には「拝殿」として描かれ、当初は四間四方であったものが、その後、天保十一年に稲荷祭礼の五基の神輿を並べる関係上、間口五間奥行三間のものに改められた。
軒下の吊燈籠は「黄道十二宮」を表したものである。
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この記事の主な更新履歴
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- 2021年3月: 公開