この記事では伏見稲荷大社の境内にある熊野社についてくわしくご紹介します。
熊野社は全国に30,000社以上ある稲荷神社の総本宮・伏見稲荷大社の表参道沿いの敷地にある小さな社殿です。
熊野社は平安時代から鎌倉時代にかけて流行した熊野詣と深い関係があります。
熊野社とは? 歴史・言い伝え
熊野社は上皇らが熊野御幸の行き帰りの稲荷奉幣の際に拝礼されたと伝えられている社です。現在の社殿は元禄7年(1694年・江戸時代中期)に建てられたもので、国の重要文化財・附に指定されています。
伏見稲荷大社の表参道沿いの敷地にある熊野社の社殿は小さく、一間社春日見世棚造という構造になっています。
平安時代から鎌倉時代にかけて上皇による熊野御幸(現在の和歌山県にある熊野三山への参詣)がさかんに行われるようになり熊野詣が流行しました。
熊野詣の行き帰りに稲荷社(現在の伏見稲荷大社)へ立ち寄り旅の安全を祈願するのが習わしとなったそうです。
その際に稲荷山の杉の枝をとり、身体のどこか(笠や袖など)にさして帰るという風習があったことも文献に書かれています。
この杉の枝は「しるしの杉」と呼ばれ、現在では初午大祭の日に買うことができます。
このように稲荷社で旅の安全を祈願するという信仰が伏見稲荷大社のご利益のひとつ「交通安全」につながっているんですね。
熊野社の場所・行き方は? 伏見稲荷大社の本殿まではどれぐらい?
熊野社は伏見稲荷大社の表参道沿いの敷地(一番鳥居と二番鳥居の間にある敷地)にあります。本殿への参拝前に立ち寄ると良いでしょう。
JR奈良線・稲荷駅のすぐ目の前に伏見稲荷大社の表参道が東に向かって一直線に伸びています。この表参道の入り口にある大きな鳥居が一番鳥居です。
一番鳥居をくぐり本殿に向かって表参道を歩きます。
二番鳥居の少し手前まで歩くと、左側に敷地があるのが見えて来ます。
敷地には左から熊野社・藤尾社・霊魂社の3つの社殿が並んでいます。背後の大きな建物は伏見稲荷大社の儀式殿です。
裏参道(神幸道)への抜け道
熊野社・藤尾社・霊魂社のある敷地の北西部に細い道があり、この道を通ると裏参道(神幸道)へ抜けることができます。
裏参道には飲食店やお土産物屋さんが並んでいます。
夜の熊野社
伏見稲荷大社・稲荷山は24時間参拝することができます。昼間とはまったく異なる独特の雰囲気があり、あえて夜の伏見稲荷大社を訪れる人も多いです。表参道沿いの敷地にある熊野社は訪れやすいですが、薄暗いだけかも…
表参道の入り口から熊野社のある敷地までは100メートルほどです。
敷地内は2本の外灯で照らされていますが、薄暗い雰囲気です。
熊野社の概要
熊野社の概要です。
住所 |
〒612-0805 京都府京都市伏見区深草開土口町65 |
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ご祭神 |
伊邪那美大神 |
例祭日 |
7月14日 10:00 |
格式 |
末社 |
創建・建立 |
元禄7年(1694年・江戸時代中期)建立 |
ご利益 |
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拝観時間 |
24時間参拝可能 |
拝観料 |
無料 |
熊野社の駒札・立て札・由緒書き
末社 熊野社 (重要文化財・附)
- 御祭神 伊邪那美大神
- 例祭日 七月十四日 午前十時
- 構造 一間社春日見世棚造 檜皮葺
- 建立 元禄七年(一六九四)
この社殿は、平安末期に流行した熊野御幸において、上皇らが稲荷奉幣を行った際、立ち寄り拝礼されたと伝えられる社である。
元禄七年(一六九四)に建直され、幾度か移築をくり返し、昭和三十四年(一九五九)、現在の地に遷された。
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この記事の主な更新履歴
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- 2021年3月: 公開