この記事では伏見稲荷大社の境内にある藤尾社についてくわしくご紹介します。
藤尾社は全国に30,000社以上あると言われる稲荷神社の総本宮・伏見稲荷大社の境内にある末社です。
ですが、実はこの藤尾社は藤森神社(伏見稲荷大社の2km南にある神社)との関係性が伝えられる興味深い社なんです。
藤尾社とは? 歴史・言い伝え
藤尾社の御祭神は『日本書紀』を編纂した舎人親王です。同じく舎人親王を祀る藤森神社との関係性が伝えられています。現在の社殿は江戸時代初期に建立されており、重要文化財・附に指定されています。
藤尾社の社殿は非常に小さく、一間社流見世棚造と言われる構造です。
藤尾社と藤森神社の関係とは?
藤尾社は伏見稲荷大社の約2km南にある藤森神社との関係性が伝えられています。
藤森神社は203年の創建とも伝えられる歴史の長い神社で、複数の御祭神が祀られています。
藤森神社の御祭神の一柱である舎人親王を祀る東殿について、藤森神社の縁起の中で次のような記載があります。
本殿東殿(東座)
御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座。藤尾は現在の伏見稲荷の地である。
永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を山麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀り、官幣の儀式が行われた。
出典:藤森神社 縁起
稲荷山の三ヶ峰にあった社(現在の上之社神蹟・中之社神蹟・下之社神蹟)を現在の伏見稲荷大社がある場所(藤尾と呼ばれていた)へ遷し、その際にもともとあった藤尾社を現在の藤森神社の地へ遷したということなんですね。
藤尾社の御祭神である舎人親王は藤森神社の御祭神でもあります。
また藤尾社の例祭日である5月5日には藤森神社でも藤森祭が行われます。
藤森神社の参道では駈馬神事が行われ、たくさんの観光客が訪れます。
藤尾社が藤森へ遷された後、江戸時代初期になって現在の藤尾社の社殿が新築されたようです。
藤尾社の場所・行き方は? 伏見稲荷大社の本殿まではどれぐらい?
藤尾社は伏見稲荷大社の表参道沿いの敷地(一番鳥居と二番鳥居の間にある敷地)にあります。本殿への参拝前に立ち寄ると良いでしょう。
JR奈良線・稲荷駅のすぐ目の前に伏見稲荷大社の表参道が東に向かって一直線に伸びています。この表参道の入り口にある大きな鳥居が一番鳥居です。
一番鳥居をくぐり本殿に向かって表参道を歩きます。
二番鳥居の少し手前まで歩くと、左側に敷地があるのが見えて来ます。
敷地には左から熊野社・藤尾社・霊魂社の3つの社殿が並んでいます。背後の大きな建物は伏見稲荷大社の儀式殿です。
裏参道(神幸道)への抜け道
熊野社・藤尾社・霊魂社のある敷地の北西部に細い道があり、この道を通ると裏参道(神幸道)へ抜けることができます。
裏参道には飲食店やお土産物屋さんが並んでいます。
夜の藤尾社
伏見稲荷大社・稲荷山は24時間参拝することができます。昼間とはまったく異なる独特の雰囲気があり、あえて夜の伏見稲荷大社を訪れる人も多いです。表参道沿いの敷地にある藤尾社は訪れやすいですが、薄暗いだけかも…
表参道の入り口から藤尾社のある敷地までは100メートルほどです。
敷地内は2本の外灯で照らされていますが、薄暗い雰囲気です。
藤尾社の概要
藤尾社の概要です。
住所 |
〒612-0805 京都府京都市伏見区深草開土口町65 |
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ご祭神 |
舎人親王 |
例祭日 |
5月5日 10:00 |
格式 |
末社 |
創建・建立 |
江戸時代初期建立 |
ご利益 |
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拝観時間 |
24時間参拝可能 |
拝観料 |
無料 |
藤尾社の駒札・立て札・由緒書き
末社 藤尾社 (重要文化財・附)
- 御祭神 舎人親王
- 例祭日 五月五日 午前十時
- 構造 一間社流見世棚造 檜皮葺
- 建立 江戸初期
この社殿は、日本書紀を編纂した舎人親王を祀る社で、天正十七年(一五八九)の社頭図に「藤尾天皇再興 南向」とあるのが初出である。
その後、延宝八年(一六八〇)には天皇塚の崩れた跡に小社を新築して藤尾社を創建したとの記録がある。
藤尾社|フォトギャラリー
この記事の主な更新履歴
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- 2021年3月: 公開